≪2019年9月下旬≫ →→→ ≪2011年≫
結局、入籍して約3か月後、あまりにもの夫婦関係悪化に、
一緒にはいられない状態にまで進んだ。
夫の朝帰りも増えた。連絡がつかない日も増えた。
そんな生活に耐えられなくなり、
一旦冷却期間を置こうと、わたしは家を出た。
ワンルームマンションへ引っ越した。
別居については、会社や友人へは秘密にしていた。
別居をすることにより、夫の日頃の行動が見えなくなり、
毎日の気持ちの浮き沈みは減ったものの、根底が解決できていない。
毎日が灰色の世界だった。
この頃も、死んでしまいたい、と思うことも度々あった。
会社でも、ぼーっとする時間が増え、仕事にも支障をきたした。ミスも増えた。
プライベートを仕事に持ち込んではいけないが、精神的に不安定な状態が続き、仕事でちょっと指摘をされただけで、涙が溢れ出てきたり。。
仕事を教えてくれる先輩にも申し訳なかった。
本当はその指摘(怒られた)ことで泣いているんじゃないんです・・と思っていたが、事情を話せず。。。
異動したての部署で初めましての方々が多く、「普段、性格暗いって言われる?」なんて聞かれる始末。
ちなみに、通常であれば常に明るく元気な性格。。・・と自分では思っている。
そんな形で、別居生活を始め、3ヵ月ほど経ったある日のこと。
深夜1時頃、知らない電話番号から着信があり、電話を取った。
知らない女だった。
「●●さんの奥さんですよね?
別れてもらえませんか?
あなたの旦那さんとの子を妊娠しています」と。
わたしは耳を疑った。
この時はそもそも女の存在すら疑ってもいなかった。
え?誰・・?
状況を理解するのにかなりの時間を要した。
事態を把握しきれない。
疲れが出た、夢だと思った。
あまりにものショックで、
会話の内容を鮮明に思い出せないが、
電話の相手が社内であることとその女の名前はこの時に確認した。
電話を切った直後、母親に泣きながら電話をした。
この時は自分のことしか考えられなかったが、母にも悲しい思いをさせてしまった。
その後すぐに、夫にも電話をし、事実確認をした。
夫は全て認めた。
それにより、夢でないことが判った。
翌日、女の素性を確認し、
女は既婚者。女の夫も社内だと判った。
当然、わたしは女には夫と別れてもらうようショートメールを送り、直接何度かやり取りをした。
思いのほか、割とまともな対応をしてくれた。
社内であることが有利だったんだろう。
まさか、女がいたとは思いもしなかったので、しばらく頭の中で整理ができずにいたが、少しずつ現実を受け止め、然るべき対応をしなければ、と考えた。
だが幸いにも、女がわたしに連絡をしてきた時点で、夫と女は関係がこじれ始めていた。
これもおかしな話ではある。。
わたしが何も知らないところで、二人の関係が始まり、こじれ始めたところで、わたしが知る、という・・。
二人の関係が始まって、7,8ヵ月間、わたしは何も気づいていなかったことになる。
鈍感な自分も疑うが、本当にそう想定していなかった。
結局のところ、あまり労力を使わずに、二人の距離はあき、別れた。
女の妊娠が定かかは結局わからなかったが、子供は諦めたことも確認した。
それにしても、女の方からわたしに連絡をしてくるなんて、なんとも言えない自爆行為。
不倫が発覚する=どうなるか・・・?
何も考えなかったのだろうか、自分に関るリスクというものを。
言葉は悪いが、頭が悪すぎる・・・。
これだけわたしも辛い思いをしたきた以上、
怒りの気持ちが当然こみあげる。
いっそのこと社内に広めてしまいたいという気持ちはあったが、それをすると最終的に自分も不利になる。
そのため、シンプルに(?)、
女へは慰謝料請求をし、金輪際夫とは接触しない旨を記載した誓約書へ捺印をしてもらうことで、騒動を落着させた。
慰謝料はしっかり振り込まれた。
そしてその後、恐らく二人の接触もなかったと思う。
同時に、夫はわたしに何度も謝った。
わたしは夫との復縁を求めていたので、
夫を受け入れ、
この時新たにようやく結婚生活を始めたことになった。
この一連の騒動の収束後は、穏やかな結婚生活を送れた。
とてもとても辛い、約7,8ヵ月だったが、雨降って地固まる。
「人生、それぞれの人に与えられた幸福と不幸の量は同じ。
大波を先に経験してしまえば、
残りの人生は幸せな時間がたくさん待っている
(このような不幸はもう来ない)」
そう信じていた。
実際、2019年8月の夫の離婚宣告までは、
2011年のこの不倫騒動は話題にあがることもなかったし、わたしもほぼ忘れていた。